幕末の軍艦
開陽丸について
1866年9月(慶応2)に徳川幕府の命運をかけ建造された軍艦開陽丸は堅牢かつ美麗に完成し、その名、開陽(大熊座中の北斗七星の呼称)オランダ語のVoorichterは夜明け前と訳されています。オランダで建造された開陽丸は幕末、鳥羽伏見の戦い、江戸城開城、徳川幕府崩壊を見届け、1868年10月(慶応4)に江戸を出帆、12月に蝦夷地に到着。 箱舘戦争最中の1868年12月(明治元年11月15日)に松前を落とし江差に向かう土方歳三らの陸軍支援のため、海路江差沖で暴風雪に遭いあえなく座礁、沈没してしまいます。 僅か2年3ヶ月の命でした。その後100年有余年を経た昭和50年から始まった海底発掘調査では32,905点の遺物が引き揚げられました。開陽丸は122年ぶりの平成2年4月に実物大にその勇姿を復元したものであります。 開陽丸建造中にオランダに派遣された榎本武揚をはじめ14名の留学生は、明治になって日本の近代化に著しく貢献しました。これらの歴史を含め多岐にわたる諸技術の、変遷がわかる貴重な資料を展示しております。
海中から引き揚げられた遺物
本格的な水中考古学
開陽丸の沈没から100有余年。昭和50年から始まった海底遺跡の発掘調査は試行錯誤の中からはじめられました。江差港外防波堤の真下部分の外海と内海に分かれる2.9haの面積を調査し、発掘、脱塩処理、保存処理等未踏の分野の発掘となるものであり、調査員、委員会も専門的見地から組織されたものであり、現在各地での水中遺跡発掘の本格的水中考古学研究のさきがけとなるものでした。
調査方法に始まり、引き掲げ直後の脱塩処理、さらにその保存処理とすべての面に試行を重ねながらの開陽丸発掘は、軍事史や船舶史における史料価値のみならず、水中考古学の分野においても大変貴重な例として、学術的な注目を浴びました。
展示のご案内
開陽丸歴史展示
開陽丸の発注・製造から座礁・沈没までを詳しく解説しているパネルや、当時の様子を再現したジオラマなどを展示しています。
引き揚げ遺物と保存
引き揚げられた遺物の展示と遺物の発掘作業工程や保存方法をビデオやパネルなどで紹介しています。引き揚げられた遺物の中には大砲や拳銃の他に医療品や食器。更には、船員が隠し持っていたヘソクリ入れなど、興味深い遺物が沢山あります。
体験コーナー
音による大砲発射体験・ゲーム感覚の操船シミュレーションや保存処理体験などが体験できます。ハンモック体験では、実際に横になって当時の船員がどのように寝ていたか体験できます。
開陽丸管理棟のご案内
施設内情報
各種サービスをご提供しております。お気軽にご利用下さい。
総合案内所 | フリー Wi-Fi | 授乳室 | 救護室 |
AED | 救護ベッド | 多目的トイレ | オストメイト |
観光バリアフリー事業
管理棟窓口にて電動アシスト自転車・電動カート・ベビーカー・車椅子等のレンタルをしております。レジャー用品レンタルの概要については下記の各種PDFをご覧ください。
平成31年度4月1日から貸出が有料となりました。貸出期間は4月1日から10月31日までとなります。詳しくは下記の事業開始案内をご覧ください。
開陽丸管理棟オストメイトトイレ・開陽丸記念館いす式階段昇降機ストリートビュー